同性愛をめぐる価値観の変化は「輸入」によるものか?

 江戸時代まで同性愛に「寛容」だった日本が、西洋のキリスト教的価値観が入ることによって一変した、ということを自明なことであるかのように書いている表現をよく目にしますが、それはあまりにも単純すぎる見方であると私は考えています。

拙著『新宿二丁目の文化人類学』で書いた、そうしたとらえ方に対する異論を掲載します。少し、語句を変えた部分があります。


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 ゲイという言葉や性的指向という概念は英語圏由来のものであるため、一見すると、海外からの「輸入」されたものによって変化がもたらされたように見えなくもない。

 それは、ちょうど、江戸時代においては男色に寛容だった日本が、明治期に入り西洋の価値観が入ったことによって非寛容的な社会に変化した見る見方と同型である。そのような言説は、現在もなお繰り返し再生産されている。


 このような見方は、何らかの事柄に対する社会の態度や価値観を単一化し、一枚岩的な社会観を想定している。そして、そのような一枚岩的な見方ゆえに、後の変化が、「西洋の価値観が入ることによって」という、「外部」からの力により起こるものとして――しかも、またしても一枚岩的な社会への移行という形で――とらえるという社会変化観を形成している。そして、そのような社会変化観は、日本の同性間のセクシュアリティ研究によく見られるものだ。


 ゲイリー・リュープは、主に徳川時代の男色を研究した書の中で、日本の社会がホモセクシュアリティに対して寛容(tolerant)であったことを強調し、徳川時代の日本はバイセクシュアルが基本であったと語る[1][Leupp1995:4]。彼は、同性間の性行為を否定的に見る言説の存在も随所で指摘しつつも、それらを単に例外的なものと位置づけてしまう。


 例えば、1676年に、俳人北村季吟が、男女の関係こそが古来から自然であるとし、男性同性間の関係を間違った、通常ならぬものと書き記していることや、『田夫物語』において同様な発言をする人物が登場すること、『根無し草』にも夫と妻の関係が陰陽の自然であると書き記されることを挙げつつも、しかし、すぐに、北村季吟のその記述が、「ホモエロティックな歌」の前書きとして書かれており、『田夫物語』は、男色を肯定する発言への反論として述べられ、『根無し草』を書いた平賀源内自身が男性の役者と恋に落ちていることから、それらの記述は「本心ではない」と、それらの表現をやりすごしてしまう。


 さらに、『色道きんぴしょ』(1834年)において、男性同性間の挿入行為は健康上の問題があると指摘されている例を挙げても、「健康と衛生に関する議論は、男性同士の性行為においては顕著ではない」と例外化する。また、男性同性間の性関係を、社会秩序を壊すものとして見なす批判言説や、幕府が陰間茶屋などに対しておこなった厳しい措置については、その根本に、階層が混じり合うことで厳しい階層社会が脅かされることを防ぐ目的があったことを示し、男色そのものが問題とされていたわけではないと解釈している[Leupp1995:150-158]。


 確かに、他の男色研究も示しているように、徳川時代の言説においては、男色に言及しているものの中ではそれを明確に否定することなく描いているものが多く、場合によっては、積極的にその価値を擁護するものも少なくない。しかし、それを理由にこれらの男色を否定的に語る言説をただ例外的な位置におき、十分にその存在意味を考察しないことは、男色から同性愛へ、そして、社会的規範の変化の歴史を考える上で重要な点を見逃してしまう。


 リュープが例示している男色に対する否定言説は、自然性をめぐるもの、健康・衛生に関係するもの、社会秩序に関するもの、である。これらがどれほど支配的な規範/価値観であったかどうかはさておき、こうした言説が存在していたことは看過できない。なぜなら、この否定言説のあり方は、明治期の男色、同性愛の否定構造とつながり、そして、現在の反同性愛的な語りとも通じる内容だからである。


 先にも触れたが、明治期の日本において、同性間の性行為が法律による取り締まりの対象としての位置づけは成功せず、病理としての位置づけが成功したと指摘されている[古川2001]。その際、病理という位置づけに大きな力を持ったのは、輸入された性科学であった。

 このことが、「西洋の価値観により…」という言説を強化しているわけだが、しかし、ここで示したように、それ以前から、日本においてもそれらと親和性の高い言説が存在していた。それまで、空白だった場所に「西洋の価値観」が入ってきたわけでも、既存の規範に「西洋の価値観」が一方的に影響を与えたわけではない。

 自然性や健康、衛生に関連した否定言説に、性科学の概念と枠組みを取り込み、接続し、その結果、再編成がおこなわれたと考えるべきではないだろうか。そして、そのような取り込みの中で否定言説がより大きな力を得て支配的な規範となっていった。つまり、近代以前にも男色に対して「寛容でない」思想は存在していたのである。


 このことを強調するのは、多様な価値観や概念が混在することが、変化を生み出す土壌となっていること、「ゲイ・コミュニティ」という語りが生まれるまでの男性同性間をめぐる変化も、そのような土壌の中から生起してきたと考えられるからだ。混在する価値観やそれらを反映する言説の中から、その時々の社会状況によって、支配的な力を持つ規範や浮上する言説が異なっていくのだろう。


 これは、シェリー・オートナーが、レイモンド・ウィリアムズ経由でグラムシのヘゲモニー概念を参照しながら、男性優位の普遍性をめぐって人類学で起こった議論を乗り越えようと提起した考え方とつながる。

 彼女は、どんな社会/文化でも、男性が権威を持つ軸、女性が権威を持つ軸、両性が平等である軸が複数あり、さらに、ジェンダーと関係のない権威軸もあることを指摘し、矛盾のない社会/文化はないと主張する。

 よって、どのようなケースにおいても、ロジックや言説、実践は複数的であり、あるものはドミナント(「ヘゲモニック」)であり、別のものは反ヘゲモニック(転覆的、挑戦的)であり、また他のものは、ただ異なるものとして存在していたりすると語る。そして、それらの関係性へ分析的問いを投げかけることの重要性を指摘している[Ortner 1996:146]。


 また、変化する以前から多様な価値観や概念が存在しているということは、逆に、新しい概念や言葉が取り込まれることによって、ある規範や志向性が言説空間において支配的な存在になったとしても、それ以前と同様、それらがその社会や文化全面を覆うわけではないことを意味している。

[1]江戸時代の人に「バイセクシュアル」という語を使用することについては、フルーグフェルダーが批判している[Pflugfelder1999]。


Leupp,Garry P. [1995] Male Colors : The Construction of Homosexuality in Tokugawa Japan, University of California Press.

Ortner, Sherry B. [1996] Making Gender : The Politic and Erotics of Culture, BeaconPress.

Pflugfelder,Gregory M. [1999] Cartographies of Desire : Male - Male Sexuality in Japanese Discourses, 1600-1950, University of California Press.



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GrassRoots Actions for Diversity オープンリーゲイの文化人類学者 砂川秀樹