がんすけのこと

前回の「いつも必死だった」では、これまでのつらかったこと、苦しかったことを吐き出すように書き連ねてしまった(今のつらい状態を生き延びるために、とりあえず、自分の中に蓄積されうごめているものを言葉にして出す必要があると思ったからでもあったが)。


僕がやってきた活動や研究などは、ほとんどの人が関心を持たなかったり、忌避する人もいたりするテーマだったため、ある種、切り開いていくような面があり、傷をつくりがちだったのは確かだ(もちろん、それは、私のある種の心的傾向性にも理由があるが)。

世間が興味をもったり、いろいろな人がそこに参入してくる頃には、僕はもうすっかり疲れ切って、そこから退いていくのだった。


しかし、それぞれのつらかった時期、出来事も、丹念に思い返せば、そこには喜びや興奮、楽しい気持ちがあったりもする。そして、深い友愛で結ばれる大事な出会いもあった。また、いつも必ず自分を支えてくれる人たちがいた。

そうした出会いや、自分を支えてくれた人たちのことを書いていこうと、しばし考えを巡らせて、ふと気づいた。あまりにも多くの人たちがいすぎて、一度や二度では書きれないことを。

悲しいことつらいことにばかり気を向けるとき、たくさんの大切な出会いと思い出を頭の隅においやってしまうのだな、と思った。これからは、意識的にそれらに目をむけ、思い出し、抱いていこう。


というわけで、今回は、「がんすけ」(春日亮二:1969-2007)のことを。これまでも何度も、古いブログ等で書いてきたけれど、僕は彼のことを繰り返し語っていきたい。


親友であるとともに命の恩人のような存在だった「がんすけ」(春日亮二)と出会ったのは、1995年。

ぷれいす東京のゲイグループでおこなったHIVに関する啓発や性行動調査に協力してもらうため、彼の会社を訪問したのがときだった。初めて会ったときの彼の眼光の鋭さは忘れられない。そして、彼と初めて会って帰る途中、不思議と「彼は、何かあったらときに頼れる人だ」と、そんな思いがふと浮かんだことをはっきり覚えている(全く身勝手な思いだけれど)。そして、実際に、彼はそういう存在になっていった。

2000年の「東京レズビアン&ゲイ・パレード」のとき、彼は実行委員ではなかったが、少し離れた立場で見守ってくれ、サポートしてくれた。また、パレードの関連イベントとして、「東京レズビアン&ゲイミュージック・フェスティバル2000」を開催し、パレードを盛り上げてくれた。

そして、委員会内での問題で僕の心が折れたとき、支えてくれた。あのとき、彼がいなかったらどうなっていただろうか、と思う。

(もちろん、力になってくれた実行委員は他にもいる。中でも、K君は、いつも愚痴を聞いてくれ、僕の気持ちに寄り添ってくれた。パレード後、しばらく「ぷれいす東京」も手伝ってくれていたが、いつの間にか音信不通になってしまった...K君、もしこれが目に止まったら連絡ください hideki_sunagawaアットマークhotmail.com)


そして、2000年のパレードが終わったあと、僕が完全にバーンアウトしてしまい(その後の一年間、研究も含めほとんど何もできず)、パレードの継続について考えることもできない状態だったため、彼が2001年、2002年とパレード続けるために奔走してくれた。


がんすけには、パレード以外でもいろんな場面で助けられた。会えない時期があっても、彼がいるというだけで心の支えだった。いや、亡くなった今も心の支えだ。つらくて苦しくてどうしようもないとき、何度、彼の名を呼んで、フォトフレームに入れている彼の写真を抱いたろう。彼への思いはいくら書いても尽きない。

がんすけは、僕にとって重要な人だっただけでなく、1990年代から2000年代の日本のゲイコミュニティについて語る上で外せない存在だ。彼の生き様については、あらためて、なんらかの形でまとめるべきなのではないかと思っている(そんなエネルギーも余裕もないけど)。


実は、今年11月7日は、がんすけの13回忌。そこで、それより10日遅れになるが、僕とかけじくさんで、13回忌の追悼会を企画した。イベント的な形ではなく、彼のことを知ってる人が彼への思い、彼との思い出を共有できたらいいなと思っている。彼を直接知らない方もぜひ。


「春日亮二(がんすけ)13回忌 追悼会」

日時:11月17日(日)15時(開場14:30)-17時 

場所:九州男(新宿2-17-1-3F)

参加費:千円(1ドリンク付)

*です。


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それにしても...彼の13回忌の年に、安定した職を得られて、これまでの僕の人生をずっと心配しながら見守ってくれていたであろう彼に、「もう安心してね」って報告できると思っていたのにな...情けない...

でも、彼は、さんざん呆れたり、怒ったりしても、僕にことを見放すことなく、これからも見守り続けてくれるだろう(出会いのときと同じく勝手な想像だけど)。

しかし、不思議なもんだ。彼が呆れたり、怒ったりしている姿を思い浮かべるとき、いなくなって12年にも経つのに、そのセリフと口調と表情が、ありありと思い浮かび、声まではっきりと蘇る。

やはり、彼は、僕の中にしっかりと織り込まれている。そうして私が生きいてる限り、私の中の彼は生きている。他の人の中の彼もそうだ。


そして、考えてみれば、生死に関わらず、出会ってきた人たちも、同じように「私」の中に織り込まれている。そして、また新しい出会いの中で、その人が織り込まれていく。「私」は、いろんな人の交わりの中でできあがり、常に変化していく「私」だ。

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GrassRoots Actions for Diversity オープンリーゲイの文化人類学者 砂川秀樹